フィレンツェのエンリコ・コヴェリ社訪問
イタリアを代表する服飾ブランド「エンリコ・コヴェリ」は、フィレンツェのアルノ川沿いに本社を置く。
モード界の神童と呼ばれたエンリコ・コヴェリは、フィレンツェの隣町プラート出身だ。1973年、21歳で最初のショーを開き、とびきり鮮やかな色彩と煌めくスパンコールでモード界に新しい世界を築いた。
わずか38歳という若さでこの世を去った彼の後を継いだのは、エンリコの妹シルヴァーナとその息子フランチェスコである。
「伯父と昼食を食べた時、同席していたのはアンディ・ウォーホール」や「おいで、マドンナとスパゲッティ(食事)するから」「学校に迎えに来て、マイケル・ジャクソンに会いにローマへ行こうと誘われた」などというフランチェスコによる伯父エンリコとの回想録を読んでいると、1980年代アメリカでエンリコ・コヴェリがトップスターにどれほど人気があったかが分かる。エンリコ・コヴェリは非凡な才能に恵まれていたが、時代にも愛された。
日本で「エンリコ・コベリ」はといえば、昔は特にカラフルな子供服で(も?)人気があったが、今はエンリコ・コヴェリを知る若者さえ少ないのではと思われるがどうだろう?
アプリモーダというイベントで、エンリコ・コヴェリ社を訪れた。案内をして下さったのは、モード界で生きてウン10年という感じで年季の入った非常にエレガントなおば様のようなおじ様だった。
最初に披露してくれたのは、建物の中庭。アメリカ人グラフィティアーティストのDAZEの絵が中庭の壁一面に描かれている。歴史的建築物保存に厳しいフィレンツェで、ルネサンス様式の貴族の邸宅中庭にモダンアートが描かれているのはここだけね!と言われてみればその通りだろうし、DAZEの「四季」を表現した壁面は楽しく、エンリコ・コヴェリのカラフルで華やかなスタイルと良く釣り合っている。
入り口横の大きな部屋には、この日のために歴代のコレクションを着たマネキンが並んでいた。それはまるで色彩の洪水のようだった。
80年代、エンリコ・コヴェリのファッション写真の撮影方法が変わった。それまではモデルがポーズをとった「静的」なスタイルだったのが、写真家ビル・キング氏によって動いている最中を捉えた「動的」な写真が生まれた。ファッションには見せ方も重要な要素、エンリコ・コヴェリの服は生き生きとした動きのあるポーズがよく似合う。
こちらのコレクションは、歌手プリンスの「パープルレイン」をイメージに作られたそうで、眼帯やヒラヒラブラウスにピンヒール!あぁ、プリンス!アルバム「パープルレイン」が発売されたのが1984年、時代を感じるなぁ。
ド派手な衣装の中で一番好きだったのが、このシリーズ。モチーフはフランスのアーティーストによるもの。フランス!そういえば昔、ニースのギャラリー・ラファイエットで、多彩でありながら調和した色合いに殴り書きのようなイラストのこの手の柄のドレスを見たことがる。南仏の太陽が似合う陽気さが素敵だったので印象に残った。若さが着こなしてくれるであろう柄は、いつ見ても楽しくヴァカンス気分になる。
おじ様曰く、エンリコ・コヴェリのデザインはいつも一貫している。だから服と異なる時代の帽子や鞄、装身具を一緒に纏っても違和感がない、と。
ここで、ブランドのスタイルは決してブレてはいけないという話になった。そうでなければブランドとしての価値がないと。「なぜあのブランドは血迷ったのかしら?儲けてはいるだろうけど、価値を落としたわね」と、グッチをディスってらしたのが面白かった。(最初は名前を伏せていたが、聞き手が皆、どのブランドのことか察したのが分かるとグッチと言ってしまったのも笑えた)
実際のところ、グッチは今の若者にウケているし、かつてのエンリコ・コヴェリのような奇抜さがあるのでは?時代が求めているものとは?と考えさせられた。歳を取るにつれて、聞くことのできない音があるように理解しずらくなる感覚がある。それでも大切なのは、奇抜さとエレガントさのバランスなのだろう。
エンリコ・コヴェリを代表するスパンコールの衣装は、スパンコールを通した糸を数本からめてスパンコールの紐を作り(確かそんな風だったと思う)、それを繋ぎ合せていくという非常に手間のかかる手作業を要する。
その結果、煌めく魚の鱗がついた人魚のような衣装が出来上がる。
衣装の裏側を見ると、スパンコールの色と糸の色が同じだというのが分かる。ということは、最初に同じ色で形を作って、次にそれをパズルのように合わせることで一つの衣装ができ上がる。形をきちんと作らないと上手く合わせることが出来ないので、職人達の綿密さと忍耐が成した見事な技である。
これはそうやって作った衣装の一つで、先日亡くなった歌手でありテレビで人気のショーガールでもあったラファエッラ・カラが着ていたのと同じデザインだ。彼女のはハイネックだったそうだが、すらりとした肢体で歌って踊った美しいラファエッラにピッタリだったろう。
このロングドレスは、女性の面倒な下着の代わりに体の形を整える裏地が付いている。女性の美しさを維持したまま窮屈さから女性を解放した、コルセットでがんじがらめだった近代の宮廷の女性達が羨むドレスである。
このお話の際に、おじ様がハリウッドスターのピタッと体に張り付いた生地の少ないドレスについて語ってくれた。「あれは体に糊で貼り付けてるのよ。そうでないと、体をひねった時に服がひねりについて来ず、胸がポロリと見えちゃうからね。糊よ!大変ねぇ、うふふ」というようなことを説明してくれた。
そして、これらのデッサンは熱で焼きながら描く手法とか?あまりよく理解できなかったが、とにかく今はもうこんな手の込んだ方法は使用していないので、これらは1点物でとても貴重だということだった。
背後のマネキンが着ているのは、毛皮。今は本物の毛皮は使用しておらず、これが最後の本物の毛皮のコレクションだったとか。「本物の毛皮禁止は当然よね、かわいそうな小動物達!」というおじ様の嘆きに同感だ。
これが最新のコレクションで、確かクリムト生誕160周年を記念したデザインとの説明だったと記憶する。
30分ほどの説明が1時間近くになり「コロナのせいで今まで黙っていた分、お喋りし過ぎちゃったわ!私はこれまで色んな世界の事件を体験してきたわ。本当に色んなことがあったのよ。(上を見上げ、首を横に振る)そしてコロナも!でもこれもなんとか乗り切りましょうよ。ふふふ」と笑うおじ様の、過ぎてしまった時代のノスタルジーを引きずりながらも矜持を持ってさらにやるわよ!という姿勢がとても素敵だった。
フィレンツェは魅力的な人たちで溢れている。
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