ここはキアンティクラシコ地方のマルチャッラと言う小さな村。三輪オートがよく似合う、のんびりとした田舎である。
村の広場には聖母マリアに捧げられた教会がある。この教会にあるフレスコ画が、今春、地味に注目を集めた。
田舎の教会によくある、外観は漆喰のシンプルな造りだが内部は16世紀以降の様式で、それなりに美しい。聖母マリアや聖人たちの像がやたらとあるのはご愛嬌。
あら、ボッティチェッリにギルランダイオが混ざったような受胎告知。天使たちが舞う美しい祭壇。ミサの後の香炉の煙にむせながら、話題のフレスコ画を探して主祭壇のある奥へ歩いていくと、翼廊の右手にあった。
問題の絵は、『ピエタ』。
ってか、この写真だと左に写っている7本のナイフに刺された『悲しみの聖母マリア』に目がいってしまうな。聖母マリアの7つの悲しみを痛みで表しているのだが、見ている方も痛みを感じてうずうずしてしまう。
話を戻して、『ピエタ』のみを拡大してみましょう。
これは『マルチャッラにミケランジェロあり』という衝撃的なタイトルで何度かメディアを賑わせた絵なのである。
この絵についての最初のコメントは、1689年にフィレンツェの大司教が『マルチャッラの教会でブオナローティのピエタを見たが、なかなか美しかった』というもの。19世紀にも、ミケランジェロ作との意見があがった。
メディチ家に寄宿していたミケランジェロは、1494年のメディチ家追放の際にアウグスティノ宗派であるサント・スピリト教会に逃げ込んだ。マルチャッラの教会がアウグスティノ宗派でサント・スピリト教会とも繋がりがあることから、もしかしたら若きミケランジェロはマルチャッラにも滞在したのでないか?その際に描いたのでは?というのだ。しかし、この事柄に関しての証拠書類は残っておらず、そういう風にこの村で言い伝わっているだけである。故に、科学的な信憑性に欠けるということもあり、真面目に調査されたことがなく半ば忘れ去られていた。
それが、2017年4月に再び話題に上ったのである。ミケランジェロの国際的な研究者のアメリカ人Robert Schoen氏が『100%ミケランジェロではなくとも、一部はミケランジェロの筆であると思われる。そうでなければ、少なくとも下絵はミケランジェロでセバスティアーノ・マイナルディが描いたのではないか。とにかくミケランジェロが絡んでいる』と発言した。
さらに、Schoen氏は、キリストの両側にいる右側の犯罪人(悪人の方)はミケランジェロの自画像であるとも!大胆な意見やな~。
美術史家の権威であるフェデリコ・ゼリ氏によると、『制作は1525年頃でトマッソ・ディ・ステファノ・ルネッティ作。16世紀の多くの画家のがミケランジェロを真似たが、トマッソもその一人』との見解。これが一番有力な意見であろう。ちなみに、トマッソ・ディ・ステファノ・ルネッティの『キリストの降誕』が同じ教会にあるので、ご参考までに。
(Finestre sul’Arte HPより)
3世紀にわたって、もしかしてミケランジェロ?と話題になったフレスコ画だが、5月にSchoen氏によって赤外線調査がなされる(なされた)。新発見はないと思うが、マルチャッラ村にとっては少々の『もしかして?』なミステリーがあったほうが、私のような通りがかりの観光客が興味本位で来たりして良いだろうに。
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ミケランジェロ?三世紀に渡る謎
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Tomoko
easyfirenze.com
ワインとチーズソムリエの資格を有するイタリア政府公認ツアーガイド・添乗員。
ワインと花と本が好き。自転車でトスカーナを巡る2児の母。
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