復活祭とサンタ・マリア・ノヴェッラ教会

復活祭とサンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂訪問。

今年の復活祭も終わったが、復活祭は『春分の日の後の最初の満月の次の日曜日』と325年のニケア公会議にて決定されて以来、復活祭の日は移動祝日である。 紀元前45年からカエサルによるユリウス暦が使用されてきたが、太陽年の1年は365日と11分28秒なので、108年ごとに1日のずれが生じてきた。結果、16世紀には春分の日が11日ずれるように。春分の日があやふやになると復活祭の日取りを決めるのに影響してしまうので、時の教皇グレゴリオ13世は暦改定を決定する。そこにメディチ家のコジモ1世(コジイチ)が、改定の推進者となることを買ってでた。暦は人々の生活を支配するもの。それを決めるということはとても大事な事業であるわけで、これを命じるのは教皇であるが、コジイチも一役買っても悪かねぇと。ユリウス暦はカエサルの功績だから、新しい暦でコジイチも偉大なるカエサルのように!という下心があったわけだ。 そこで、コジイチは、天文学者であり地図制作者である修道士イニャツォオ・ダンテ(イニャダン)をペルージャから呼び寄せ、任務を任せる。最終的にはローマで暦改定の調査を終えるが、イニャダンが最初に調査を始めたのがフィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂である。 復活祭とサンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂 サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂は、13世紀に創設されたドメニコ派修道院付属の大変美しい教会である。イニャダンは、この教会に暦改定のための調査道具となる日時計を設置したのである。 なぜこの教会が選ばれたかというと、修道士イニャダンがドメニコ派に属していたということもあるが、何よりも教会のファザードが動かない壁であること、2度のずれはあるもの東西に平行で南を向いているから。太陽の光を1日中刻むため、教会のファザードの左右に2つの天文学の道具が設置された。 日時計 ファサード向かって右手は、針が影を作り時を告げる日時計。現在の物は2008年に修復したものだが、まずは本来の目的であった太陽の高さを計るための棒が付いている。しかしこの大きさでは無理があるとわかったので、その後は市民のための日時計が設置された。ここには、なんと6種類もの時計があるという。すべて1日24時間なのだが、1つ目はイタリア時間で日没から日没まで、2つ目は日の出から日の出、3つ目は正午から正午までの天文時間、4つ目は真夜中から真夜中の時間、5つ目は惑星時間、6つ目が私たちが現在使っている1時間は冬でも夏でも60分で計24時間のフランス時間。そこに教会時間まで加わるとなると、なんと色々な時間のは計り方があったものだと感心する。 天球儀 ファサード向かって左手には、天球体。教会のファザードに垂直にある円が子午線、もう一つの円が赤道と並行の線。赤道平行線の輪の上部の影が下部に重なり合うと春分の日である。そして、ファサードに写る影は十字となる。写真の日は日時がずれているので影は十字ではないが、なんとなくイメージは沸くのではないでしょうか。 丸窓 教会のファサード内部は、丸窓の上と窓の中に2つの穴が開いている。この日時計は、教会の床の南北線に穴から通った光が差すことで時を知る。 窓の上に見える26㎜の穴は26,5mの高さにあり、世界で3番目に高い日時計だそうだ。ちなみに、一番高いのはフィレンツェのドゥオモのもので90mである。 サンタマリアノヴェッラ教会床 穴から差す光が2本の南北線のどこに来るかで、春分・秋分や夏至・冬至がわかるようになっている。春分・秋分で復活祭の日がわかり、夏至・冬至で地球軸の傾きがわかるのだそうだ。 教会のファサードは東西に2度ずれて南向きで建っていると前述したが、この線を見るとずれがよくわかる。 残念ながら、これらの南北線はイニャダンの時代のものではない。イニャダンが穴を開けた翌年にコジイチが亡くなる。後継者のフランチェスコ1世は何故かしらイニャダンが好きではなく、彼をフィレンツェから遠ざけたのだ。ゆえに、フィレンツェでの調査は途中で終わった。しかし昨年、イニャダンの意志が受け継がれ、床に南北線が書かれた。 受胎告知 サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂の光といえば、まことしやかに囁かれている噂では、3月25日の受胎告知の日(フィレンツェの旧正月)の正午に、ブルネッレスキのデザインした説教台の『受胎告知』のマリア様に丸窓からの光が当たるというが、残念ながらそんなことはないのだそうだ。 冬至 これは冬至の位置を知るための円。白い板にはイニャダン時代の冬至の太陽の位置が書かれている。現在は、太陽の位置が移動しているのがわかる。1世紀で4㎝動くそうだ。夏至と冬至は地球軸の傾きを表すが、25年で1㎝ずつ地球軸の勾配が減少しているということらしい。勾配がなくなると季節がなくなるということだが、それが徐々に目で見て分かるのって怖い・・・。 ガリレオを異端とした教会が、なぜ天文学に関する道具を教会に設置して調査をさせたか?という疑問が湧くが、復活祭の日がずれているということは、天文を理解していないということである。天文も神が作ったものであるから、人間を含めて神の創造物を教会がわからないとなると教会の威厳に関わるということだった。 そして、1582年10月15日にグレゴリオ歴が生まれた。ユリウス暦ではこの日は1582年10月5日に当たる。ずれを修正するのに、大胆にも10日間すっ飛ばしたのである。 サンタ・マリア・ノヴェッラ教会の床に書かれた南北線には星座も書かれているので、それを見るのも面白い。太陽が出た正午前後にサンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂へ行かれる方は、ついでに床もご覧下さいませ。時計の正午に光がぴったりに差すのではなく、太陽が真上に来る太陽時間の正午にです。

この記事をシェアする

Facebook
Twitter
Pinterest

関連記事