レオナルドのアンギアーリの戦い。
レオナルド・ダ・ヴィンチのフレスコ画「アンギアーリの戦い」は、ヴェッキオ宮殿の五百人の間に描かれるはずであった。周知の通りフレスコ画は実現されず、残っているのはレオナルドが描いた下絵をルーベンスがコピーしたものである。
ヴェッキオ宮殿にある「五百人の間」は、フィレンツェ共和国時代、ドメニコ宗派の修道士サヴォナローラの案で500人の議員で構成された民主的議会を招集できる広間として1496年から97年にかけて建築されものを基盤とし、1540年にメディチ家コジモ1世がメディチ・リッカルディ宮からヴェッキオ宮殿に転居した後、トスカーナ(大)公国の君主となったコジモ1世の権威を表すに相応しい豪華な間に改造された。
レオナルドがフィレンツェ共和国から「アンギアーリの戦い」を依頼されたのは1504(1503)年のことで、大広間は今より天井がずっと低く窓が少ないので採光が悪く装飾も地味で暗かった。
レオナルドのフレスコ画の対面には、ミケランジェロによる「カッシナの戦い」が描かれるはずであった。こちらもミケランジェロの下絵のコピーが残るのみだがこれもまたフィレンツェ共和国が勝利した戦いである。暗鬱で厳格な広間に気迫に溢れる対をなすフレスコ画、完成していたらどれほど素晴らしかったことであろう。いずれの画家のオリジナルとして残るのは部分的な習作のみである。
大広間の改築後は、ジョルジョ・ヴァザーリによるコジモ1世が征服した都市をモチーフとした天井画と壁画が広間を全体を飾り、レオナルドが「アンギアーリの戦い」を描く予定だった壁はシエナとの戦いを描いた「キアナ渓谷マルチャーノの戦い」が覆う。
10年ほど前に「この絵の中に『Cerca Trova /探せば見つかる』という文字が書かれた旗があり(上の全体図では白丸部分)、それが意味するのは絵の裏に隠されたレオナルドの『アンギアーリの戦い』だ」という米カリフォルニア大学サンディエゴ校のレオナルド研究者マウリツィオ・セラチーニ教授の研究から幻のフレスコ画「アンギアーリの戦い」を探す調査が始まった。
そして広間の壁の裏側に内視鏡を入れて採取した破片に「モナ・リザ」と同じ黒い顔料が含まれていると発表したのは2012年のことである。その後、調査は中断し「で?いや、もしかしたら?」など、私のような素人は夢を膨らましたものだが、今となって見ると2013年に発表されたダン・ブラウンの著書「インフェルノ」の大掛かりな宣伝だったのでは?とさえ疑ってしまう。サラチーニ教授の名は「ダ・ヴィンチ・コード」にも実名で登場している。ちなみに教授は30年以上レオナルドを研究されているのでダン・ブラウンの宣伝なんてことはあり得ないだろうが、結果、盛大なるフィレンツェの宣伝にはなったのは確かである。
調査には当時から美術史家や修復専門家からの反対も多かったが、先日、「フレスコ画は存在しない」との結果をまとめた本が発表された。それによると、採取した破片は壁の一部、「モナ・リザ」の黒なんて存在しない、イタリアの文化財修復機関の最高権威の一つL’Opificio delle pietre dure /フィレンツェの国立修復研究所が採取した破片を調査したいと要求したが破片紛失で調査できなかった、レオナルドがフレスコ画のために用意した材料とはフレスコ画の下地(の漆喰)を作るためのものだったということだ。故に、レオナルドがロウを用いた新しい技術(過去の技術の再生?)で用意した絵の具を定着させるため、たいまつの熱で乾燥させるという実験を試みて失敗し、絵の具が溶け出して回復不能なダメージを受けたため続行を断念と言われてきたが、実は絵を描き始める前のフレスコ画の下地製作に失敗したとの結論である。ただ下絵は2枚実存したらしく、前述の通りその1枚をルーベンスがコピーしたもののみが現在に残っている。まだ本を読んでいないので詳しくはわからないが、ざっとこんな感じで非常に興味深い。
(著作者はヴィンチのレオナルド美術館館長、フィレンツェ大学教授2名、フィレンツェの国立修復研究所長と、蒼々たるメンバーである)
では、『Cerca Trova /探せば見つかる』とは何を意味していたのか?
それはコジモ1世を頂点とする絶対主義国家は自由を許さぬとの説がある。『Cerca Trova /探せば見つかる』は、コジモ1世の治世に反旗を翻しシエナに組した反メディチ派が対フィレンツェ戦で掲げた旗で「自由を求めて彼は進みます。そのために命を惜しまぬ者のみが知る貴重な自由です」というダンテの神曲からの言葉からだと言う。 ここでいう自由とは、共和国におけるFiorentina libertas/フィレンツェの自由。15世紀、イタリアの他の都市国家は主権を掌握した君主をシニョーレと呼ぶ僭主制度シニョーリア制が敷かれていたが、フィレンツェは共和制ローマを引き継ぐ共和国だとの誇りがあった。しかし、コジモ1世の時代には間違った自由(反メディチ)を求めたものの結末は重罰が待ち受けている、という趣旨ではないかとのこと。(建築家ボッチャ教授説)
出版発表で「アンギアーリの戦い」はまるで「聖杯/Graal」のようだと話ししておられたが、まさにその存在は不確かだが魅力と威力を放ち皆が行方を追い続ける存在!「ない」という結論は寂しいが、謎は科学的歴史的事実に基づいて紐解かれる必要がある。
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