ロベルト・カサモンティ美術館
サンタ・トリニタ広場にバルトリーニ・サリンベーニという邸宅がある。16世紀の美しい建物の大きな扉が、時々、開いては見えていた中庭が素敵で、ずっと入ってみたいと思っていた。
それが2018年に、「ロベルト・カサモンティ・コレクション」という現代アートの美術館となって一般公開されたのだ。カサモンティ氏が収集した素晴らしい作品リストから、これは必見と思いつつもなかなか機会がなかったが、先日ようやく訪れることが出来た。コロナのせいで仕事がなくなってしまったが、おかげで時間だけはある。
この中庭を独り占めや!写真撮るで!と携帯を構えたら、奥からすっとお掃除のおじいさんが出てきた。少し待ったがお仕事を続けていらっしゃるので諦めて、彼もカメラに収めることに。想像に過ぎないけれど、もしかしてお掃除のおじいさんのフリをした警備員さん?もしもの時はすごい力を発揮したりする?素敵な中庭だもの、あり得たりして。
階段を登った1階にある美術館の入り口に、いきなりデ・キリコとは!これは美術館への期待値上がるね!
美術館に入ってすぐに、ミケランジェロ・ピストレット。ミラー絵画「立つ人」と、木にボロ切れで「鏡台」とはアルテ・ポーヴェラ(貧しい芸術)運動の芸術家らしい2作品だ。
彼は2013年に高松宮殿下記念世界文化賞を受賞したが、そのHPの説明を拝借すると次のような芸術家である。
鏡のように磨かれた金属板に人物などを描いた《ミラー絵画》シリーズで世界的名声を得た。鏡面には見る人や周囲の空間が映り込み、作品と一体化する。過去と現在、二次元と三次元が交錯する表現は、彼のその後の作品や芸術理論の根底となる。
これは、先日観た「ジェフ・クーンズ展」でもよく似たコンセプトだったを思い出す。物体の反射する表面は人を惹きつける魅力があるのだろう。
そしてアルテ・ポーヴェラとは美術手帖によると次のような芸術運動である。
鉄、廃材、石、布切れといった日常的で質素な素材のほか、石、土、植物などの自然物を未加工のまま同語反復的に提示すること
ピエール・パオロ・カルツォラーリ「無題」。どうも蝋燭がついた状態が完成状態のようである。茶色っぽいフェルトが貼られた枠に本物の蝋燭が付いている。それだけの作品であるが、作者の芸術への思想を読んでいると実はすごく奥行きがある作品に見えてくるから不思議だ。
なんだかよくわからないなりにも、カルツォラーリにインタビューしたHPから私なりに理解したことを書いておく。
元々はアルテ・ポーヴェラから出発して、現在の作風にたどり着いた。作品の根底には16・17世紀に開催された「大きな宴」の観念がある。絵画のようにキャンバス上の一つの平面だけではなく、例えば、レオナルド・ダ・ヴィンチが機械で動く舞台装置を作ったように(「大きな宴」の傑作)、作品中に複数空間を作り上げたいと。だから彼の作品の特徴として、しばしば2つ以上の立体物が複合しており、展示作品の場合はフェルトのキャンバスと蝋燭だ。そしてキリスト教に限らず神殿というものに惹かれるらしく、それは神殿という空間の中で、人が行き来しコーラスが歌われるなど複数の様々なことが行われるけれども神殿にいる目的は自分と向き合うことだから。作品には物語や抽象的な表現はないが、決して作品が鑑賞者の前に「存在」として止まっているのではなく、「〜になる、〜に変化する」という動的なもの、だそうだ。
この作品の蝋燭が神殿に繋がり、燃える蝋燭は(燃えてないけど)時間の流れを表現?時間と空間が生み出す動的な流れのなかで自分と向き合う、ってことかいな???
美術館や教会で聖書物語に囲まれているフィレンツェで、わかるようなわからないような現代アートが次々と並べられているのは新鮮!
左手に写っているのは、ヴィンチ村の広場に設置されている「不均衡またはウィトスウィスス人体図」の作者の作品である。
お屋敷が面する広場にある「正義の柱」の上に乗っかっている「正義のアレゴリー像」がこんな間近に!
先日、フランスの凱旋門が布に包まれるという芸術作品が披露されたが、私はその時に初めてクリストという芸術家を知った。凱旋門を使った作品は1961年から構想し60年の時を経て実現したものの、残念ながらクリストは2020年5月にこの世を去ったので完成を見ることはなかった。と、なんともドラマチックな背景があるが、カサモンティ美術館の作品は、1985年に凱旋門と同じく布に包まれたパリの橋「梱包されたポン・ヌフ」の素案である。
クリストの作風は、芸術を通して公衆を巻き込む可能性を見い出した環境アートと呼ばれるそうだが、布への想いが綴られている美術手帖のページが面白い。
なぜ?とはわからないが、私はこの作品が好きだ。すべて黒く塗りつぶされた文章の中に、残された言葉「La stessa mattina/ 同じ朝」が作品の題である。
作者エミリオ・イスグロは思想芸術家・画家であり、詩人・作家・劇作家・演出家でもある。文字を黒く塗り潰す作風で知られているが、塗り潰すことで削除するという否定的な芸術ではなく、ある言葉だけを残すことでそこが新たな物語の始まりとなる。故に未来を開拓する、そして開拓するのは鑑賞者ということか。
チョーク・アウトライン形式(犯罪現場で被害者の位置を書き記しするための線)で表現されたこの作風、知ってる!
これまでの作品に「こ、これは?」と眉間に皺を寄せながら鑑賞していた後なので、キース・ヘリングのポップさにホッとする。親しみやすい軽さの中にも、しっかりとメッセージが読み取れる。とはいえ、これは「無題」。ヘリングの絵にしばしば登場する「Xが付いた標的にされた人々」と「吠える犬」が伝えるメッセージは、テレビから流れてくる抑圧的で一方的な情報に警告を与える、なのかな?今の時代だと、TVがPCとなりフェイクニュース注意!となるのだろうな。
この独特な作風も見覚えがある!見ろ、ジョアン・ミロだ!個人のこんな小さな美術館が所蔵していることに驚く。カサモンティさん、すごい!
作者はわかっても、さて、これは何の絵?
題は「女性」とある。と言われてみるとそう見えてくる、脳の不思議よ。ミロは色彩が踊りだすような楽しさがあっていいね。
ミンモ・パラディーノよ! トランスアバンギャルドよ!「無題」よ!
十字架のキリスト、かな?ねぇ、この作品、好き?私はちょっと苦手。だけど、これまたヴィンチ村の広場や、フィレンツェの現代アート・クリスマスツリーを手掛けてトスカーナでも話題になっているため、無視できない作者である。
展示の1部しかご紹介できないが、カサモンティ美術館は芸術運動の流れに沿って作品が配置されているので(多分、そう思う)、イタリアの現代アートの思想と動向を知ることができる。
この美術館の収集は2部に分かれており、現在、展示されているのは2部のほうだ。以前、公開された1部はデ・キリコ、ファットーイ、ロザイ、モランディ、カンデンスキー、ピカソなど、これまた非常に興味をそそる作品群となっている。全てを一度に展示すればもっと人を呼べるのにとスペースの問題だろうか?
とにかくも、首を捻りながらも楽しめた。たった一人で美術館を独占した贅沢な時間であった。
Collezione Roberto Casamonti
Palazzo Bartolini Salimbeni, Piazza di Santa Trinità 1
水曜日から日曜日 11時15分から19時
10ユーロ(6歳以下無料)
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