刺繍とランジェリー店「ロレッタ・カポーニ」
フィレンツェに来て以来、ロレッタ・カポーニの前を通り度に「素敵だな」と思っていた。
ショーウィンドゥから刺繍商品のお店だとわかったものの、用も無いのに入るにはあまりの素敵さに気が引けた。しかし先日のアプリモーダのイベントで、説明付きで訪れることができた。
店内は夢の砦のようで、予想以上の美しさだった。
この日は、ロレッタ・カポーニの孫にあたるグイド氏がお店の歴史と商品について話して下さった。
物事が成功するには才能と運が一致しなければならないとマキャベリが言うが、ロレッタの場合、まさにその通りだ。
ロレッタが生きた時代、女の仕事といえばお裁縫だったが、彼女はその作業に秀でていた。9歳からお裁縫を始め14歳で最初の仕事を仕立てて以降、地道に仕事を続けていた。それが転機となるのは、夫となる画家ジーノ・カポーニとの出会いだった。彼の仲間の文人や芸術家達の集まりで、ロレッタの繊細な作品が受けたのだ。そこから彼女の名はイタリアの社交界で広く知られるようになる。
そして、1967年にフィレンツェで刺繍とランジェリーのお店を開くに至った。
写真はロレッタの夜着の最初のモデルで、今も変わらず人気の定番商品だ。素朴なデザインだが素敵である。部屋着として作られたがベルトを付ければ外出着にもなり、首回りは伸縮可能なので少しずらして肩を出して着ることもできる。
なんとうっとりするような絹のランジェリー!夜に溶け入るような色も美しい。胴回りのギャザー部分は手で寄せているので一つずつ幅が微妙に違うそうだ。
ロレッタ・カポーニの商品はアメリカのハリウッドでも愛されており、女優ジェーン・フォンダはフィレンツェのお店を訪れたことがあるそうだ。
刺繍部分の裏側の始末の美しいこと!肌に直接触れる部分なのでとても丁寧に作られていて、隅々まで職人技が感じ取れる。
私がロレッタに感動したのは、販売路を広げるためにとった行動の話だった。戦後、パリに進出しようとしたが検閲が厳しく商品を運ぶことが難しい時期があった。しかしロレッタは諦めず、毛皮のマフに商品を隠して運んだ。そしてパリでも成功を収めたそうだ。
才能と運だけに頼らず自身の商品の可能性を信じて何としても売りたいというロレッタの強い気力に触れ、成功には困難にも立ち向かう意気込みも必要かと感心した。コロナ禍で気弱になっている私は喝を入れられた気分である。私には残念ながらロレッタのような才能も運もないが、意気込みさえも無ければどうしようもない。何としても、やらねばならない。
ロレッタ・カポーニは女性の夜着だけに止まらず、子供用の商品も取り扱っている。これまた夢の国に出てきそうな可愛らしさだ。グイド氏の子供は夢見ることも必要だという言葉が印象的だった。
壁に並ぶ丸い形をした刺繍のメダルは、フィレンツェの捨て子養育院にあるルッカ・デッラ・ロッビアのメダル装飾をロレッタ・カポーニ風にアレンジしているそうだ。
これが捨て子養育院で、アーチの間に空色を背景に布に包まれた赤ちゃんが描かれた陶器の円形メダルがシンボルである。
お店の奥にある工房も見学させてもらった。奥に見えるのは、ロレッタの作業机。2015年にロレッタは91歳で永眠したが、体が許す限り工房に顔を出していらしたそうだ。
布を裁断する際に型紙を布に写して切るのが普通だが、ロレッタは型なしで布を裁つことができたという。まるで石膏モデルなしで大理石を彫ったミケランジェロのようである。
こちらは刺繍の下絵。図案を転写する方法を説明してもらった。針で穴を開けて顔料を塗って云々、為に布に青色が残ってしまうことがある。それは洗えば消えるもので手作業の証となるのに、それを知らない人は欠陥品だと勘違いするという話だった。
詳しくは覚えていないが、刺繍の下絵の転写は、フレスコ画の下絵に穴を開けてシノピアと呼ばれる赤土を乗せていくと穴を通して壁に赤色の点で絵が残るのに似ている。
私は刺繍をするわけではないが、刺繍作品がとても好きだ。このお店の商品は(商品というより作品という言葉が相応しい)、本当に上品で美しい。
これは裏面。表裏を間違えそうなぐらい始末の仕方が美しい。始末の仕方というのか、余分な糸が全く出ていない!ランジェリーもそうだったが、一つ一つが本当に丁寧な仕事である。
ロレッタが好きで集めていたという鳥籠も店内にとても調和している。
ロレッタ・カポーニは、まさに職人の街フィレンツェが誇る老舗である。
Loretta Caponi
Via delle Belle Donne, 28/r
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