ミラノ散策
ミラノを観光するには徒歩でも十分だと思うのだが、レトロなトラムを見かけると乗りたくなる。少しずつモダンな型の車両に変わってきているようで残念である。
スカラ座前。意外とそっけない外観。暗くなるともう少し雰囲気が出るのかしらん。
ドゥオモ横にあるパラッツォ・レアーレ(王宮)の中庭に1717年に建設された木造の劇場が火事で焼失したため、1776年に新たに造られたのが現在のスカラ座である。スカラ座は、サンタ・マリア・デッラ・スカラ教会があったところに建てられた。1381年に建築された被昇天の聖母マリア様に捧げられたサンタ・マリア・デッラ・スカラ教会は、ミラノの僭主ベルナボ・ヴィスコンティの妻であるベアトリーチェ・デッラ・スカラが建築費用を出資したため、デッラ・スカーラの聖母マリア(サンタ・マリア・デッラ・スカラ)という名で親しまれた。この教会跡に建てられた新しい王宮劇場がスカラ座と呼ばれる所以である。
ベアトリーチェ・デッラ・スカラはヴェローナの領主デッラ・スカラ家の娘という肩書きもあったろうが、中世にしては自立した、夫のベルナボの数々の浮気にも眉ひとつ動かさぬ「鉄の女」であったらしい。
スカラ座の名前について調べていて、ベアトリーチェとベルナボとして出てきた画像がフィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ教会のフレスコ画であった。鷲はうぬぼれ、猿は肉欲を表すと習った気がするが、この2人に関係あるのだろうか?二人も、フレスコ画も14世紀のことである。ミラノからフレンツェまで繋がったのが不思議というか、世界は狭いというのか。
ヴェラスカの塔。1951年から1958年に建設された中世の塔をイメージしてデザインされた26階の建物は、18階までは商業施設やオフィス、上の出っ張っている7階分は2部屋から7部屋の大きさの全部で72棟の個人アパートなのだそうだ。2011年に窓一つさえ変えてはいけないという文化保護建築物に認定されている。世界で一番醜い建物ベスト30に選ばれたり、ミラノの文化の象徴だという批評家もいたり賛否両論だが、あなたは好きですか?
ヴェラスカの塔は、そう言われるとスフォルツァ城に似ていなくもない。そう思うとさほどヴェラスカの塔も悪くはない気もするが、しかし、決して美しいとは言い難い。
ミラノといえば、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガレリア。ヴィット・エマ2世は、1861年にイタリアが統一されてイタリア王国になった時の最初の王。彼に捧げられたガレリア。ガレリアとは通路だから、商業通路と言えばええんか?
ガレリアの建物って、フィレンツェの共和国広場と似てんねん。この広場、19世紀に造られた当初はヴィット・エマ2世広場やってん。ルネッサンス風と異なる建物っちゅうことで、最初はフィレンツェ人に嫌われててん。
19世紀後半に、ジュゼッペ・メンゴーニの設計で当時の流行の素材であった鉄とガラスが特徴的な建築である。19世紀のパリが好きな私は、このスタイルは気に入っている。鉄とガラスを使用した19世紀を代表する建築物は、フィレンツェでも見ることができる。それは、中央市場・メルカート・チェントラーレ。中央市場もジョゼッペ・メンゴーニの手による。
ミラノのガレリアは1877年9月に落成式が行われたのだが、式の前日にジュゼッペ・メンゴーニはガレリアの一番高い足場から墜死する。新しい建築様式への批判も多く気を揉んでいたこともあり、自殺という噂もあったらしいが真相はわからないままである。ガレリアが開館してからどれほど多くの人々が素晴らしい丸屋根を見上げ感嘆の声を漏らし、写真を撮ったであろうか。ジュゼッペ・メンゴーニの遺作は永遠に人々に愛され続けるであろう。
ガレリアはラテン十字の形をしており、十字になる中心部にモザイクで紋章が描かれている。トリノのシンボルである雄牛のモザイクは有名だが、フィレンツェもあるのです!
ガレリア内にはずらりとお店が並んでいるが、やっぱり一番有名なのはプラダの本店でしょう。
オープンしたばかりのカルロ・クラッコのレストラン。クラッコはイタリアを代表するシェフで、テレビ番組やCMにも出ているので有名なのである。お決まりのセリフが「料理には大胆さも必要」。クラッコの前のレストランはミシェランの星もなくなり、サービスの評判は悪かったようだが、今度の新しいレストランは高いだけなのか、それともそれだけの価値があるのか。バールでケーキだけでも試せばよかったな。試せるのはそれぐらいだが・・・。
あ〜、ミラノは楽し。
ブログランキングに参加しています。よろしければ、応援クリックお願い致します。