ピエンツァ観光情報。
歴史
1996年に世界遺産に登録されたピエンツァは、アミアータ山を見晴らす海抜481mの丘の上にあります。オルチャ渓谷の丘陵地帯に建つこの町は、ルネサンスが生んだ小さな宝石と呼ばれています。
ピエンツァは、1462年まではコルシニャーノと呼ばれる田舎の町のひとつでした。町の歴史は古く古代ローマ時代までさかのぼり、9世紀にはコルシニャーノの城塞として知られボッカッチャの小説にも出てきます。
14世紀中ごろシエナで反対勢力により貴族ピッコローミニ家が国外追放され、一家がたどり着いた先がコルシニャーノでした。そして何の変哲もない田舎町コルシニャーノの運命が変わったのは、1405年エネア・シルヴィオがピッコローミニ家に生まれてからでした。エネア・シルヴィオは大学で文学を学び、各国を旅した後、1458年に53歳でピオ2世として、ローマ法王に選出されます。
法王になったピオⅡ世は、故郷の町を美しく生まれ変わらせたいと願いました。ただ単に美しくするだけではなく、自分の家族を追放したゴシック様式の建築物が華やかなシエナとは違う、当時の最先端であったルネサンス風の洗練された理想郷を創造しようとしました。
当時の法王庁顧問建築家であり、ルネサンスが花開いたフィレンツェで活躍したレオン・ジョヴァンニ・バッティスタの弟子であったベルナルド・ロッセリーノに建築を命じます。予算を大幅に上回る工事でしたが、ピオⅡ世の「やってみよ」の一言で、1459年に建設が開始されました。
建設開始後、わずか3年で町の中心が出来上がりました。ピオⅡ世は、古代ギリシア・ローマの古典を学ぶことによって人格形成を目指した人文主義者でしたが、人文主義の哲学にしたがって作られた理想郷はピオⅡ世の名をとり「ピエンツァ」と名づけられました。
しかし、ピオⅡ世はこの理想郷を十分に楽しむことはできませんでした。1464年、教皇は亡くなります。そしてまた、建築家ロッセりーノも同年、たった2ヶ月違いで死去しました。
半世紀が過ぎた現在もなお、ピオⅡ世の町ピエンツァは理想郷の名にふさわしく、その美しさで私たちを魅了します。
町の入り口にあたるプラトー門をくぐると、町のメインストリート、建築家にちなんで名づけられたロッセリーノ通りが町を縦横に走っています。籠に生けられた花々が石造りの町並を美しく飾り、遠くからやってきた旅人を迎えます。
ロッセリーノ通りと平行に走るカセッロ通りからは、オルチャ渓谷の雄大なパノラマが楽します。奥にアミアータ山も眺めることができます。
ロッセリーノ通りとカセッロ通りをつなぐ4つの小道に、おもしろい名前が付けらています。「幸運通り」「愛の通り」「キスの通り」そして「暗闇の通り」。だれが名づけたのか、とてもロマンチックな名前です。
観光
時間 8.30-13.00、14:30-19.00.
ルネサンス様式の白いファサードが荘厳なピエンツァのドゥオモ
光と影の美しい調和をなす内部。
時間
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- 10.00-16.30 (火曜休館)
- 休館日:11月16日から30日/1月7日から2月14日/12月25日/1月1日午前
- 12月5日から8日 /12月26 日から1月 6日:毎日10.00-18:00
料金
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- 7ユーロ(5歳以下無料)
- ピッコローミニ邸とドゥオモ地下礼拝堂共通チケット10ユーロ(5歳以下無料)
時間
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- 3月16日から11月4日まで 10.30-18.30 (火曜休館)
- 11月5日から3月 15日:土曜・日曜10.00-16.00
- 10.00-18:00
料金
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- 4,5ユーロ(10歳以下無料)
- ピッコローミニ邸と共通チケット10ユーロ(5歳以下無料)
1年の催し
5月初旬週末
ピエンツァの町中が花で溢れ、花市が開催されます。
特産品
目抜き通りの両側には、お土産屋、特産品であるペコリーノ・チーズ屋などがずらりと並びます。
お店の中には、灰の中や穴の中で熟成されたペコリーノ・チーズ、トリュフ入りのものなど、様々な種類のチーズが所狭しと並んでいます。チーズに合わすジャムも、梨や緑のトマト、薔薇、オレンジなど、こちらも種類が豊富です。
何でもない雑貨、風景も絵になります。生ハムをささえる台やパスタ・キターラやピチを作る道具など、イタリアらしい雑貨は見ているだけでも楽しくなります。シエナ地方のパスタ・ピチも売っています。
行き方
easyfirenze.comの専用車がお勧めです。ピエンツァ、モンタルチーノ、サン・クイリコ・ドルチャ、モンティッキエッロの4つの村を巡るオルチャ渓谷ツアーが便利です。ご希望のアレンジも可能です。
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