プラートのドゥオモを訪れた。
プラートのドゥオモは、トスカーナの他の教会の例に漏れず、白と緑の大理石が特徴的である。この緑色の石は『プラートの緑の大理石』や『セルペンティーノ』と呼ばれる蛇紋岩でプラート近郊に採石場があった。
薔薇窓のところに時計、そして教会の右角に丸いものがくっついているのは説教壇である。実はこのファザードは、説教壇に登る階段を作るため2重構造になっているのだ。だから薔薇窓が時計なんだね。
説教壇と書いたが、これは従来通りの司祭が説法するためのものではなく、ドゥオモが保管する大切な聖遺物を市民に公開する時に使用される場所である。
プラートのドゥオモの聖遺物とは?
それは「聖母マリアの腰帯」。聖母マリアが被昇天された時、使徒トマスが「ほんまか?」と疑ったところ、マリア様が「ほんまや」と被昇天の証拠として腰帯を天から落としたってお話。
なんでそんな大切なものがプラートにあるの?
サクッと言うと、トマスから腰帯を預けられた男は、エルサレムにて代々大切に腰帯を保管するわけだが、この男の子孫となる司祭の娘と(東方教会の法にならい司祭も結婚ができた)、巡礼のためにエルサレムへ赴いたプラートの商人ミケーレが恋に落ちて結婚した。ミケーレは花嫁の持参金として腰帯を受け取り、1141年に腰帯を持って妻と一緒にプラートに戻った。で、プラートの司祭とミケーレの間で腰帯の真偽を問う「ほんまか?」「ほんまや」のすったもんだの末、ミケーレの死後、プラートのドゥオモに預けられて今に至る。この期間に、数件の奇跡が起こる。
(TVPrato写真拝借)
こーんな感じで、年に5回、クリスマス、復活祭、聖母マリアの被昇天の日(8月15日)、9月8日(聖母マリアのお誕生日)、5月1日、お披露目がある。
前回にご紹介したダティーニ邸に大使や教皇や王が客として滞在したと書いたが、この聖遺物のために多くの人々がプラートを訪れたわけである。
この素晴らしい説教壇(と呼ぶが)は、ドナテッロとミケロッツォの共作。1428年に仕事の契約が結ばれた。
ドナテッロとミケロッツォは二人とも老コジモことコジモ・デ・メディチのお気に入り芸術家たち。当時、2人はコンパニアと呼ばれる共同経営を行っており、3年毎に更新しながら12年ほど続き、今のカルツァイウオーリ通りに工房を構えていた。説教壇の最初の契約では1429年9月1日に仕事を終了させるはずであったが、2人とも個人でも仕事を受けていたのでローマに行ったりヴェネチアに行ったりと忙しかった上、大理石が届いたのが1429年!結局、完成したのは1438年のこと。
この以上の損傷を避けるため、オリジナルは1970年にドゥオモ付属美術館に移された。
説教壇の7枚のパネルはドナテッロ作。(工房の助けもありながら、だが。)
プット(子供)ちゃんたちがパネルの中に舞う、流れるようなリズム感と調和のある彫刻が素晴らしい。制作前にピサを訪れたドナテッロは、ピサのカンポサントにある古代ローマ時代の石棺のプットたちに発想を得たと言われている。
プットの日本語訳は難しいのだが、天童、子供とか。羽が生えていれば天使になるのかな。
キリスト教の説教壇にプットちゃんたちが描かれているのはなぜに?
プットちゃんはディオニュソスの天国に住んでいると言われている。ギリシア神話に登場するディオニュソスとは、豊穣と葡萄酒、酩酊の神。キリスト教では葡萄酒はキリストの血であるので、ディオニュソスと聖体拝領のワインを結びつけたってことらしい。ギリシア神話からキリスト教を読み解くという考えはルネッサンスの流行りであった。
プットちゃんたちが踊る葡萄酒の神ディオニュソスの天国は、とっても楽しそう
イェイ!可愛いよ~。
説教壇は、ドナテッロデザインのこんな台の上に乗ってますねん。
端っこで、誰かこっち見てる?
はーい、この子ですね!
ドゥオモ付属美術館にはその他の作品も諸々あって、これはボッティチェッリの十字架。説明にはボッティチェッリとだけ書かれているけど、+工房?推定?どっちにしても綺麗。サヴォナローラの影響後の作品なのでしめっぽいけどね!
フィリッポ・リッピの「聖ヒエロニムスの死」
プラートのドゥオモは、聖ステファノに捧げられてるんだね。頭に石が乗った人がステファノ。
ロマネスク様式の回廊。回廊ってなんや落ち着くわ~。
ドゥオモの中。白黒基調で、予想外に立派。
入ってすぐ左に「聖母マリアの腰帯」の礼拝堂。最後のジョット派アニョーロ・ガッディの柔らかなタッチで描かれた聖母マリアの生涯のフレスコ画が美しい。
ステンドグラスも綺麗。
この教会は内陣にある礼拝堂のフレスコ画が見所。パオロ・ウチェッロもあるけれど、なんといっても!
フィリッポ・リッピの聖ステファノと洗礼者ヨハネの物語。2007年に修復が終わり、サロメの軽やかな舞も甦った。
僧侶であり画家であるフィリッポ・リッピは、途中の中断はあったとしても13年間続いたプラートのフレスコ画の仕事中に、聖マルゲリータ尼僧院の礼拝堂付き神父に任命される。そこで、若くて美しい新人尼僧ルクレッツァ・ブーティに出会う。2人は恋に落ち駆け落ちする。2人の間に生まれたのが、フィリッピーノ・リッピである。そんなドラマを思い出しながら鑑賞したのだが、フィリッポ・リッピのフレスコ画を見るのは初めてだからとっても感動でございました。
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