サン・クイリコ・ドルチャ観光情報。
歴史
サン・クイリコ・ドルチャは、オルチャ渓谷の中心に位置する中世の城壁に囲まれた町です。村の入り口にある15世紀に造られたカップチーノ門が旅人を迎え入れます。
お祭りで地区の旗が賑やかに揺れるカップチーニ門をくぐると、ひっそりと佇む中世の町が現れます。この町は、その中世らしい雰囲気からテレビドラマ「メディチ家」の舞台となりました。
あまりにも雰囲気があり、あまりにも静かなので本当に住民がいるのか不思議に思う通りは、トスカーナらしいサフラン色をした岩の家が並びます。
今では静かな田舎町ですが、ローマへの巡礼の道フランチジェーナ道とローマとフィレンツェを結ぶカッシア街道が通っていたために中世には栄えた町でした。
サン・クイリコ・ドルチャは観光客で賑わう町とはいえませんが、町のメインストリートであるダンテ・アリゲーリ通りには、レストランやカフェ、お土産屋さんが数件並んでいます。
オルチャ渓谷はワインで有名ですが、クラフトビールも楽しめます。オルチャ渓谷の大地で育つ小麦から造られたクラフトビールは、オルチャ渓谷に関連する女性の名前が付けられ、それぞれに味わいがあります。エレガントなボトルはデザイン賞も受賞しています。ビールのジャムもあり、お土産にも事欠きません。
巡礼の道フランチジェーナ道が町を通っていたこともあり、巡礼者用の宿泊施設もありました。シエナにあるスカラ病院の荘園でもあった巡礼者宿泊所は、当時、たくさんの巡礼者をもてなしました。中庭にある井戸は15世紀のものです。町を歩いていると、井戸が多いことに気づきます。これは、その昔、町の近くにオッセンナという水路が流れていたからでしょうか。17世紀まで、この町はオッセンナのサン・クイリコと呼ばれていました
観光
住所 Piazza Chigi 1
町の教会コレッジャータは、12世紀末に建てられたロマネスク様式の教会です。通りから覗くファザードの美しさにかつての巡礼者は感動したことでしょう。
全体は12世紀のロマネスク様式ですが、13世紀に造られた入り口はゴシック様式を残し、内部は16世紀に改築されたためバロック様式を残す、歴史の流れを感じることのできる教会です。
住所 Via Dante Alighieri, 103
ヴィタレータの聖母マリア教会こと被昇天の聖母マリア教会は、もともと存在したフランチェスコ宗派の僧院あとに、1867年から1870年にかけて新たに建設されました。アンドレア・デッラ・ラッビアの「お告げの聖母マリア」が保存されています。この教会のヴィタレータの聖母マリア礼拝堂は町から少し離れた場所にありますが、礼拝堂のある風景はオルチャ渓谷のシンボルのひとつとなっています。
町には「オルト・レオーニーニ」と呼ばれる美しいイタリア式庭園があります。16世紀に、ディオメデ・レオー二はメディチ家より与えられた土地にフィレンツェで生まれたイタリア式庭園を造りました。入り口から奥へいくほどと広がる土地に幾何学模様に低く刈り込まれた低木を植えることで、庭園は実際よりもより広く感じられます。また、中心に低木を、縁に常葉樫の高木を植えて、高低を表しています。これらの手法は、遠近法を取り入れたルネッサンス時代の特徴です。庭の中心には、メディチ家コジモ3世の像が私たちを迎えます。
手入れされた庭園をさらに奥に進むと、入り口の手入れされた庭とは対照的な、自然を残した散歩道があります。散歩道の階段を上ると、カセッロ塔の跡があります。元は39mの高さでしたが、第二次世界大戦で破壊されました。廃墟はいつの間にか自然と融合して、美しい絵となっています。
1年の催し
6月の第3週末
1962年から続く中世の時代祭です。中世の衣装を着た人々が催しを開催し、食事やお店が屋店がでます。1155年に赤髭王(バルバロッサ)こと、シュタウフェン朝のフリードリッヒ1世がローマ教皇から神聖ローマ帝国の皇帝として戴冠式を受けるためにローマへ向かう途中、サン・クイリコ・ドルチャに立ち寄りました。その後、バルバロッサのおかげでこの村は重要な地位を得ます。この出来事を再現したお祭りです。
12月の第1週末
オリーブの産地サン・クイリコ・ドルチャの新作オリーブオイル祭りです。行き方
easyfirenze.comの専用車がお勧めです。サン・クイリコ・ドルチャ、ピエンツァ、モンタルチーノ、モンティッキエッロの4つの村を巡るオルチャ渓谷ツアーや、他アレンジも可能です。
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